【読書を行う変人】と【読書嫌いな常識人】

みなさんは、『趣味は読書だ』と聞くと

そのひとにどのようなイメージを抱きますか?

多くの場合、”常識人”や”知識人”など

どちらかというとこのようなイメージを持たれるのではないでしょうか?

 

しかし、実際に進んで読書を取り入れるようなひとは、

まず間違いなく”常識人”ではありません。

それどころか、むしろとんでもない『非常識人』だったりします。

 

ちなみに本ブログの管理人である僕も

趣味のひとつは読書であり、

月に10冊以上は読んでいますが、

年に1冊も読まない妻からは、

『これまで出会ってきた人物の中で、あなたは一番の変人だ』と、

いつも後ろ指(?)を指されています。

 

さて、ではここで、現代の常識人について少し考えてみましょう。

常識人とは、一般大衆的な考え方や行動、感覚を持った人物のことを指していますよね。

 

文化庁が行った読書量の割合調査では

本を全く読まない人、

または読んでも月に1冊~2冊程度のひとが、全体の約8割を占めていますので、

やはり読書は大衆的な感覚で行っているものとはいえません。

ちなみに、月に7冊以上読んでいる人の割合は、なんとたったの5%ほどだといわれていますので

なるほど妻が僕に変人だと言ってくるのも、間違っていないでしょう。

 

では、一般大衆的な『常識人』は、一体何をしているのか?

例えば、朝から晩までテレビを見ているひとたち

今はネットの勢いもすごいので、

YouTubeやSNS、好きなテレビ番組にネットフリックス等

これらに時間を使っているひとたちが大半で、

大多数のひとがそのような生き方をしているでしょう。

大衆的な観点から見ると、そんな皆さんの方がよっぽど『常識人』ですよね。

 

つまるところ、

『本を読みましょう。読書の習慣を持ちましょう。』というのは

『立派な常識人になりましょう』と言っているわけではありません。

むしろ逆であり

『立派な変人になりましょう』と言っている訳です。

いってみれば、読書は『変人のすすめ』ですね。

 

常識などというものは、

誰かが作り出した空想です。

本来であれば、すべてのひとが誰とも違う常識を持って生きているはずです。

しかし、テレビなどのメディアが強力な力を持って、世の中の常識をつくるようになると、

その作られた常識からはみだした考えは否定され、非難され、受け入れられなくなります。

 

『みんなと同じ』を目指す社会は、『違い』を受け入れることを拒む社会でもあるわけです。

そう考えると、『常識』なんてまやかしで、それこそ『非常識』なのではないでしょうか?

世間の常識から外れて生きる勇気を持つことで、初めて常識とは違う考え方を持つひとを理解できるようになります。

読書は、常識的な感覚をもつためにおこなうものではありません。

むしろ、『自分らしく生き切る勇気』を受け取るために行うのです。

 

だからみなさん、読書をしましょう。

そして、素敵な変人になっていきましょう。

以上、変人のすすめでした。おしまい。

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