ビュリダンのロバとは、行動の意思決定における、心理学の分野でよく用いられている寓話です。
この寓話では
お腹を空かせたロバが、左右2方向に道が別れた辻に立ち、同じ距離、同じ干草が置かれていた場合、ロバはどちらの道も進まずに餓死してしまう。
という結末になります。
このロバには、
①一方の道を選択して干草を食べる
②もう一方の道を選択して干草を食べる
③どちらの道も選択せず、その場にとどまる
というみっつの選択肢がありましたが、ロバはどちらの道も選択をしない(できない)という③の選択をしてしまった為におこってしまった結末になりました。
では、なぜふたつの道を選択できずに、③という最悪の結末になってしまったのか、考察していきたいと思います。
目次
得る喜びより、失う悲しみの方が約2.5倍強い
これは以前にもブログでご紹介したかと思いますが、それが「同じ量」「同じ質」であったとしても、失う悲しみ(痛み)の方が遥かに強くなります。
例えば、ふたりで1万円ずつ出し合い、ジャンケンで勝った方が総取りできる。といった一か八かのゲームを提示された場合、やるというひとはかなり少ないことが想定できます。(ちなみに僕は確実にやりません(笑))
ではこれが、勝った場合は相手の1万円を得るが、負けた場合は4000円(10000÷2.5)失う。といった形になると、
「お、やってみようかな?」というひとが増えてくると思います。実際ピンとくるひとも多いのではないでしょうか?
そもそも「選択を後悔する仕様」になっている
選択をすることとは、言い換えれば何かを失うことだと思います。意味のある意思決定とは、何かを捨てることを伴うからです。
その上で、失う悲しみ(痛み)の方が約2.5倍強いことが実証されているならば、
「本当にこっちの道で良かったのだろうか?あっちの道の方が良かったのではないだろうか?」
などと後悔してしまうのは、どうしても生じてしまう、そもそもハード面の仕様によるものだと考えられます。つまり、これは選択を行い続けるうえで、避けては通れない痛みであり、それを受け入れなければ、必要以上に苦しみを感じてしまいます。
なぜ「ビュリダンのロバ」は、失う悲しみ(痛み)よりも、自死を選んでしまったのか
③は結末をみれば、最悪の選択になってしまいましたが、ビュリダンのロバは、なにも自ら死を選択したわけではないと思います。
ただ、同じ距離、同じ量で同じ質のものが目前にあり、どちらか一方しか得られないという辻に立った時、前述した、一方を得る喜びより、一方を失ってしまうという悲しみ(痛み)ばかりに心を支配されてしまい、どちらも諦められなくて、その場に留まってしまった結果、動けなくなってしまい、図らずも③の結末に至ってしまったということでしょう。
意思決定の本質における、わかりやすい寓話になっています。
僕にも同じ経験がある
子供の頃、よく通っていた細い裏道の、ゆったりとした下り坂を自転車で颯爽と下っているとき、珍しくその日は僕の後ろを軽トラが走っていました。
道が細いので、僕を抜くこともできずゆっくり後ろをついて走ってくれていました。別に煽られているわけでもなかったのですが、自分よりポテンシャルの高い(速い)物体が後ろについてくる、その状況が気持ち悪くて、でも坂道を下っている爽快感も気持ちいいので止まりたくもなくて、
どうしようかな。と考えていました。
しばらくすると、遠くの方に坂道の終わりがみえてきました。
まもなくY字型の斜め方向に別れた二股の道に行き着きます。
ここで僕は選択を余儀なくされるわけです。
「右に行くか、左に行くか。」
ちなみに一方は同じく細い裏道で、もう一方は大通りに抜ける道です。
さて、どちらに進もうか。
「軽トラだから大通りの道にでるかな?であれば、このまま細い裏道を選ぶべきかな?」
「いや待てよ?もし細い裏道を後ろの軽トラもついてきてしまったら、僕の後ろをこのままずっとついてきてしまうな」
「だとしたら大通りにすべきか?」
「でも、大通りに出たら目的地まで、少しだけ遠回りになってしまうな」
「う~ん。」
「さて、どうしようか。」
そのまま僕は、Y字型の分かれ道をまっすぐに直進し、壁に激突していました。
ぎりぎりまで迷い、そしてそのまま、選ぶことが出来ませんでした。
ひしゃげた自転車とぶっ倒れた僕を見た、軽トラの運転手さんの
「なんで曲がらなかったの?!どうしてこうなったの?!?」
という怪訝な表情は、生涯忘れることはないと思います。
僕もビュリダンのロバのように、図らずも結果的に③を選んでしまったということです。(笑)
幸い大きなケガもなく、最悪の結末にはならなかったので良しとしています。(多少主旨とずれていることは自覚しています)
みなさんは、ビュリダンのロバや当時の僕のようにはならないように、失う悲しみ(痛み)は覚悟して前進していきましょう。なにも選択できない、前進できない。。。というひとは、知らず知らずに③の道を選択してしまっているかもしれません。結局「選択しない(できない)という選択をしている」ということですからね。僕もあの時の経験は、昔話としては笑えますが、同じような経験は二度と御免です( ;∀;)