選択と自己決定【ひとの夢】

子供の頃、

将来何になりたいですか?

そんな「夢」に関するアンケートをみて、

みんな思い思いに、自分の将来を思い描き、夢を書き綴った。

「将来の夢は特にありません。」

なんて書いたひとはごく稀だろう。僕だって夢を書いた。

・スーパーマン ・総理大臣

・仮面ライダー ・大富豪

それがどうゆうものかなんて深く考えなかったけど、なれたらいいな、なんて考えてた。

子供はみんな夢をもつ。大人になって思い返してみると、

抽象的で、大きな夢だ。

今日はそんな、「夢の話」がテーマだ。

子供はみんな、夢をもつ

「夢のない子供」ほど夢のない話はないだろう。

それは哀しすぎる。少なくとも僕の周りではみたことがない。

物心がついてきたら、「抽象的な夢」に疑問を抱いてしまうこともあるかもしれないけど、

僕がイメージしている子供の姿は、

「具体的な夢」のイメージができるようになる前のお話だから、

きっとみんな、なにかしら壮大な夢をもっているに違いない。

子供の頃の夢はどこにいった?

誰もが抱いた壮大な夢も、

年齢を重ねれば重ねるほど、具体性に欠けることが理解でき始めてしまう。

少しずつ、「現実を理解し始める」といってもいいかもしれない。

年齢を重ねれば重ねるほど、周囲に語る「壮大な夢」は、

馬鹿にされてしまうことも増えるかもしれない。

笑われてしまうことも増えるかもしれない。

そうやって、少しずつ、少しずつ、「夢」を語ることが少なくなっていく。

そうやって、少しずつ、少しずつ、「夢」が失われていくのかもしれない。

「夢」との決別

子供の頃、口々に語り合っていた大きな夢は、

「馬鹿みたいな話」として記憶の押入れにしまったまま、

多くのひとが大人になっていった。

もう誰も、記憶の押入れから、「馬鹿みたいな話」を出すこともないだろう。

そうやって、それが「正しい選択だと考えた大人たち」は、

現実を受け入れて、辛抱しながら、生きている。

でも、たま~に、見かけてしまうんだ。

大人になっても、夢を捨てていない「馬鹿なやつが」

夢を捨てた「正しい大人」

子供から大人に成長する過程で、

抽象的な夢は馬鹿にされ始めた。

現実は思った以上に厳しかったんだ。

いろんなことを知るようになっていった。

どうやら、もうないみたいだ。かれらには、夢をみている暇なんて。

 

だから、辛抱しよう。辛抱して、現実をみよう。

 

現実をみて、今日という日を、やり抜こう。

そうやって、大人は夢を抱くのを放棄した。

夢をみるのは、馬鹿な選択

夢を捨てた今が、正しい選択

そう、言い聞かせながら

ひとの夢が叶うのは「許されない」

そんな現実を生きていると、たま~に出会う「珍しいひと」。

それは、「夢を抱いた大人」だ。

本当に馬鹿だと思う。哀れだ。

大人になっても、まだ現実をみれていない。

だから「かれら」は「夢を抱いた青年」の為に、「早く夢から覚めろ」と伝えている。

いつまでも夢なんてみていないで、現実をみないといけないって。

否定してくる「正しい大人たち」

いつまで、夢なんてみているんだ

どうせ無理なんだから、早く諦めたほうが自分の為だ

現実をみなさい。君の為を思って伝えているんだ

「正しい大人」は口々に、あたかも、

「夢を抱いた青年の為」かのように、諦めろ、諦めろと言ってくる。

そして夢を抱いた青年のことを、「彼らは」いつも怪訝な顔でみている。

青年の知り合いも、「周りの説得」のおかげなのか、最近、夢を諦めたと言っていた。

でも、青年は諦めなかった。自分自身が納得できるまでは、挑戦し続けたいと思っている。

かれらの意見も評価も言動も、青年の夢には関係なかった。

夢を諦めた「正しい大人」は正しかったのか?

結局この青年は、かれらの意見を遮り、夢に向かって挑戦を続けた。

そして、何度も何度も挑戦を続け、苦労も重ねたが、最後は夢を叶える事に成功した。

この青年のことを、怪訝な顔でみていたかれらも、

最後は「おめでとう」と言ってくれた。

でも、心から喜んでくれているような素振りではなかった。

夢を捨てた「正しい大人」の「正しさ」とは

夢を捨てるのが正しいと考えたかれらは、夢を捨て、現実をみた。

それが「正しい」と考えたからだ。

だから、夢を抱き、挑戦し続けるひとをみると、「都合が悪い」という陰の一面も存在する。

なぜなら、その夢を叶えられたら、自分の正しさが否定されてしまうからである。

正しいと思って夢を捨てたのに、だから辛抱して現実を噛み締めながら生きていたのに、

「諦めなかった方が正しかった」なんて、もはや到底、今更受け入れられない。

だから、まわりの「正しい大人」は、

「夢なんて捨てて、お前も早く、こっちにこい」と言ってくる。

人生の幸福度を決める「自己決定」とは

ひとの幸福度は、学歴でも、貯蓄額でもなく、

「自分の人生を自分で選択している」という

「自己決定」による部分が何より大きく関わっていることが明らかになっています。

僕は、「夢を捨てた正しい大人」も「夢を抱いた珍しい大人」も

実際どちらが良かったかなんて、そのひとたちにしかわからないと思っています。

夢を抱いた大人も、結局最後まで叶わないパターンだってあるでしょう。

その場合、かれらは、やっぱり自分たちが正しかったと思うでしょう。

結局、未来は誰にもわからないということです。

しかし、何が正しいかわからないからこそ、

自分の人生の決定権は、他者依存するのではなく、自己決定していくことが大切だと思います。

周りは批判するかもしれません。

君の為に言っているんだ。と伝えられるかもしれません。

それぞれの正しさが異なるため、誠実な考えからきているのかもしれません。

そんなときに、本当の意味で選択を自己決定できるのかどうかで、

その後の人生の幸福度に影響はでるのかもしれません。

個人的には、大人になっても、夢を持ち続けて生きていきたいと思っています。

たまには昔抱いていた夢を、思い出してみてもいいかもしれません。

同じ未来を生きるなら、たくさんのワクワクを作りながらの方が楽しそうですよね。

今日はそんな、夢の話でした(*^^*)

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