TOTOの執念【ウォシュレット】の【角度と温度】が【適切な理由】

「ウォシュレットのお湯は、なぜ的確にターゲットを狙い打てるのか?」

不思議に感じたひとはいないだろうか?

トイレから射出される水が、ターゲット(肛門)にヒットする角度や温度の最適解など、調べてみなければ誰にもわからない。

今回は、ウォシュレットが社会的に普及するまでの、開発者の執念をご紹介します。

ウォシュレットの存在と背景

そもそもトイレというものは、住宅建設時に設置されるもので、いくつも購入するものではありません。しかし、1973年のオイルショックを機に住宅着工数が激減したため、トイレの販売個数も同じく落ち込みをみせ、同時に水回り商品の販売も伸び悩んでしまっていた。

TOTOも1969年から初期型のウォシュレットは販売されていたが、射出される角度や温度が、まだまだ不安定で、「欠陥品」だと多くのクレームを受けていた商品であった。

しかし、TOTOはこの商品を見捨ててはいなかった。

「おしりを洗う文化」は当時の日本には浸透していなかったが、世界的にみても、毎日お風呂に入るほどのきれい好きな日本人には、機能性さえ追求していけば、受け入れられる素地はあるはず。

こう判断し、一般向けの商品として本格的に開発することになったのである。

課題①:射出角度

「おしりを洗う」には、その場所へピンポイントにお湯をヒットさせる必要がある。

しかし、それこそが「何より大きな壁」であった。

その場所を指し示す数値データなんてある訳がないからだ。

開発するには、納得できるほどの数の統計データが必要になる。このデータを集めるために、開発チーム自ら、協力者になってもらえるよう、ひとりひとり説得していくしかなかった。

協力者には、針金を張った便座に座ってもらい、肛門がきた位置に紙で印をつけてもらうというもの。

これを社内のスタッフに協力してもらうよう求めたが、

「いくら同僚でも、自分の肛門の位置を教えるわけにはいきません」

こう丁寧に断る社員もいたらしい。とりわけ女性社員は「恥ずかしい」と嫌がったそうだが、開発者は諦めることなく熱心に説得を重ね、半ば根負けした同僚や社内スタッフが徐々に協力に応じるようになった。

最終的には、男女合わせてなんと300人分ものデータを収集することができたという。

この統計データから、「肛門の位置」は、ある角度に集束していることが明らかとなり、射出角度の最適解が導き出されたのである。

課題②:射出されるお湯の温度

次なる課題は、お湯の温度である。

おしりに当たるお湯が、何度であれば「快適」だと感じるのか。これは開発者たちが自ら被験者となり、お湯の温度を0,1度ずつ上げながら、おしりにお湯を当て続けた。

快適温度だけでなく、上限温度も設定しなければならないため、かなり高温のお湯も当てる必要もある。ときには「アツっ!」と飛び上がりながらも、データを取り続けた。

開発者の執念ともいえる努力の甲斐あり、「お湯の温度は38度」という解が、また射出角度もお湯がおしりにしっかりヒットし、尚且つおしりにぶつかったお湯がノズルに跳ね返りにくい「43度」という角度も導き出された。

ついに「黄金比率」を見つけたのである。

「水と油」ならぬ、「水と電気」の融合

これまで不安定であったお湯の温度を安定させるために、ICによる電子機器を導入することが有力視された。

しかし、今では当たり前となっているが、当時は水回り環境にコンセント(電気の使用)が設置されるような事例は極めて異例であり、家電メーカーに問い合わせても取り合ってもらえなかったと言われている。

ここで諦めないのがTOTOの開発者チーム。「ならば自分たちで作ろう」と試みたのである。

しかし、家電メーカーが相手にしないようなことに挑戦するのは、とても危険な行為でもあり、あるスタッフは電気回路に誤って触れてしまい、100ボルトもの電気が身体を襲ったという事故も発生したらしい。まさしく、命がけの開発といっても過言ではないだろう。

ひとつのミスも許されないという行き詰まる現場であったが、とある日にブレイクスルーが起こる。

開発スタッフが雨の日に信号待ちをしているとき、雨風にさらされながらも正確に動いている信号を見て、「これだ!」とピンと来たのだ。

すぐに信号機メーカーに問い合わせると、信号機メーカーは「ハイブリッドIC」という特殊な樹脂でICをコーティングする技術を持っていた。

そして、信号機メーカーと協力して「ハイブリッドIC」を回路に取り付け、プラスチック製の強化カバーで覆い、尿と同じ塩分を含む水をかけたところ、問題もなく実験は成功。

ここに「水と油」ならぬ「水と電気」の融合が完成し、漏電問題が解決したのである。

ウォシュレットの名前の由来

こうした様々な試行錯誤を経て、1980年6月に新しい温水洗浄便座が完成し「ウォシュレット」と名付けられた。この名前の由来は「レッツ・ウォッシュ」を逆さにしたもので、

「これからは、おしりも洗う時代」というメッセージが込められているという。

しかし販売当初、不具合などが発生し、一時期は社内倉庫が返品の山で埋め尽くされるほどの事態にもなったという。

改善作業が指定された期日までに間に合わなければ、会社の存続にも関わるという程の試練であったが、それでもTOTOの粘り強さと、開発スタッフの執念により、さらなる改良を施し、なんとかこの試練を乗り切った。

その後体験者の口コミで販売実績もあがっていったが、

決定的だった出来事は、1982年、ゴールデンタイムに「おしりだって、洗ってほしい」という前代未聞のCM広告を打ち、爆発的に認知度が上昇したことだろう。

CMを担当した中畑貴志氏とのやり取り

ウォシュレット開発チームは、数々の名作コピーを手掛けていたコピーライターの中畑貴志氏のもとを訪れ、コピーを依頼しました。しかし、中畑氏は「商品価値がピンとこない」という厳しい姿勢だったという。

そこで開発チームの中で、一番長い時間、自分の身体で実験を繰り返していた技術者が立ち上がり、手のひらに青い絵の具をつけて、中畑氏に「紙で拭いてみてください」と告げる。

中畑氏は紙で拭いたが、青い絵の具はきれいには落ちなかった。

「おしりだって同じです。水で洗えばきれいになります。これは常識への挑戦なんです!」と訴えたという。

技術者のこの言葉に心を動かされ、中畑氏は承諾したと言われている。

また、このときのエピソードが、そのまま青い絵の具を使ったCMのビジュアルにつながっています。

▽CM動画(you tube)

トイレのイメージの払拭

このCMが流されたはじめは、「食事時にトイレのCMを流すとは何事だ!」といったクレームの電話が鳴りやまなかったと言われている。

しかし、そのクレームに対して真摯に対応し、そのうえで「食事と同じくらい排泄も尊い行為で、自信と誇りをもって作っている」と伝えたそうです。そして、鳴りやまなかったクレームや講義の電話は、一か月後にはなくなったと言われています。

当時はトイレは「ご不浄」というマイナスなイメージがあったのに、その一般的なイメージや常識を根底から変化させようとしたTOTOさんや開発者たちの熱意は、相当なものであったと感じますね。

まとめ

「需要のあるものを作る」

これはマーケティングの常識ですが、その時需要はなくても、作り手の熱意や執念によって需要を開拓したという、いわゆる「プロダクトアウト」の好例だと思います。

ウォシュレットは「需要の開拓」だけでなく、「日本のトイレ文化」まで築いてしまったので、TOTOさんのその先見性には脱帽ものです。

今回は、ウォシュレットが開発されるまでを簡単にご紹介しましたが、トイレは現在も日々改良が施されているので、さらなるトイレの進化をご紹介できる日も近いかもしれません(*^^*)

またなにかあれば随時ご紹介していきます!おしまい(*^^*)

参考著書:世界一のトイレ ウォシュレット開発物語(林 良祐氏)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA