時間にルーズなひとが考える【判断軸と解釈】「でも」の発想法と、時間に正確なひとが考える「だから」の発想法

時間は有限だから、できれば無駄な時間は避けたいものである。

また、自分の時間を大切にできれば、ひとの時間も大切にできるようになるだろう。

しかし、ひとによっては、時間にルーズなひともいる。

今回は、時間にルーズなひとと、時間に正確なひとの

時間に関する発想法の違いを解説していきます。

時間にルーズなひとの判断軸は、自分自身

時間にルーズなひとが、

本当に時間に対してルーズである「病気」のようなものなら

それは人生に関わる一大事だろう。

なぜなら、プライベートでの待ち合わせだろうが、

取引先と取り決めた時間だろうが、仕事の出社時間だろうが、

状況は一切考慮されないから。

もし仮に、大事な仕事や、プライベートの大切な用事に関しては

正確に行動できるというならば

それは時間にルーズな訳ではなく、

周囲に対する配慮が足りないと言わざるを得ない。

判断軸に他者の視点がなく「自分にとって大切かどうか」になってしまっているからだ。

もし本当にそのような考え方で、

「少しくらい遅れてもいいか」と思ってしまうような予定は、

今すぐに、すべての予定をキャンセルしてしまおう。

待ち合わせ時間の解釈の違い

時間にルーズにな方だけれど、

そこまで「自分視点ではない」という方は

待ち合わせ時間の解釈に違いがあるのかもしれない。

例えば、12時に待ち合わせたならば、”12時くらい”を目途としている可能性が高いのではないだろうか。

そしてこの、”くらい”には、ひとによっては、許容範囲に大きな幅がある。

時間にルーズなひとは、取り決めた待ち合わせ時間から、

20分~30分くらいの誤差ならば、許容範囲だと考えているひとが多い傾向にあるように感じる。

これは、待ち合わせ時間そのものに対する「アバウトな解釈」だから発生してしまうのだろう。

また、そのように考えるひとに共通する考え方として「でも」という言葉が存在するのも特徴の一つだ。

やってはいけない「でも」の考え方

12時の待ち合わせ、「でも」、20分くらいならば遅れてもいいだろう。

仕事の締め切りが明日の昼まで、「でも」、最悪帰社するまでに提出すればなんとかなるだろう。

と。「でも」を用いると、自分本位の解釈ができてしまうようになる。

では対照的に、

時間に「正確」なひとは、同じ「待ち合わせ時間」をどのように捉えているのだろうか。

時間に正確なひとは「だから」と考える

時間に正確なひとは、基本的に待ち合わせ時間の10分前を基本としているひとが多い。

さらに慎重なひとは、公共交通機関や、移動車の遅れなども考慮し、

20分~30分前に到着することもままある。

ちなみに僕自身、慣れていない場所ならば30分前到着を基本とし、

道中を把握している勤務先などの場合でも、10分~15分前には到着している。

この違いはひとつ、「だから」で考えているから。

時間に遅れてはいけない。「だから」早めに出発しよう。

明日の昼までに提出しなければならない。「だから」今日中には、あらかた片づけておこう。

簡単な考え方の違いだが、この差は、大きく響くことになる。

なぜなら、時間にルーズなひとは、周囲からの信頼感も失ってしまうから。

時間にルーズなひとは、信頼感も失ってしまう

信頼感は、積み木のようなもので、

コツコツと日々積み重ねて形成されていく。

✔自分から挨拶する

✔感謝を伝える

✔自分のことを開示する

✔悪口を言わない

✔嘘をつかない

✔約束を守る

✔時間を守る

✔金銭に誠実である

✔間違った場合は素直に謝る

上記にある通り、ひとつひとつは些細なこと。

一言にするなら、「自分も他人も大切にできるひと」といえる。

しかし、時間にルーズなひとは、

自分にとっても、他人にとっても、価値ある大切な時間を、少しずつ奪っていく。

結果的に、ルーズな行動の蓄積が響き、周囲からの信頼感も、自分の中から少しずつ抜け落ちてしまっていく。

「でも」を「だから」に変えてみる

前述したように、

時間にルーズなひとが考える時間の解釈は、無意識的に次のふたつに分けられる。

✔待ち合わせ時間を、守るべきかどうかの判断が「自分軸」

✔待ち合わせ時間そのものに対する、「アバウトな解釈」

そして、このふたつと併用されるのが、「でも」という言葉。

時間にルーズになってしまうと悩んでいる方は、

まずは、「でも」を「だから」に変えてみることから始めてみてはどうだろうか。

待ち合わせ時間「でも」このくらいなら遅れてもいいか。

ではなく、

待ち合わせ時間「だから」この時間までには出発しよう。

また、

遅れたら信頼感を失ってしまうかもしれない「だから」早めに出発しよう。

このように、違う視点からも考えられるようになれば、

より効果的に行動が改められるかもしれない。

まとめ

時間は命そのものである。

同じく大切なモノの代表格である「お金」と大きく違う点は、

失った先に、人生が続くかどうかだろう。

お金は失ってしまっても、人生は続く。だから、失ってこわいモノの代表ともいえる。

でも本当に大切なのは、時間の方。

時間は失ったら、おしまいだ。後から悔やんでも、取り返すことはできない。

終わりがわからないうちは、時間の有難みを軽視しがちにもなってしまう。

しかし、時間は命そのものなので、本当は、最も大切に扱うべきものである。

そして、それは周囲の時間も全く同様に。

だからこそ、自分の時間も他人の時間も、大切にできる人間になっていこう。

参考著書:ゴネる技術 著者:前垣和義氏

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