こんにちは☺ちょっぷです☺
思うところがあり、少しブログを休んでいましたので、久しぶりの更新となります☺
今回は「動物園のサル山に関する謎」を考察していきます。
目次
サル山の猿は、いつ見ても数が均等に保たれている
今回のテーマであるサル山の猿の数の謎、
みなさんも動物園に遊びに行ったとき、
不思議に感じられたことがある方も、いらっしゃるのではないでしょうか?
サル山には、たくさんのニホンザルが暮らしていますよね。
その中には、親猿に抱き着いている可愛らしい仔猿の姿も見かけることが多いでしょう。
そして、子猿がいるということは、「きちんとサル山内で繁殖がなされている」と考えるのが普通です。
しかし、ならばなぜサル山の猿たちは、いつ見ても数が均等に保たれているのか。
不思議に感じますよね。
もっと数が増えてもいいはずだと思いませんか?
国の人口増減は、「自然動態」と「社会動態」の二種類が存在する
僕たち人間社会の人口の増減を見てみると、
大きく関わっているのは次の二種類だと言われています。
◇自然動態
⇒出生・死亡に伴う人口の動き
◇社会動態
⇒転入・転出に伴う人口の動き
このように、人間社会では、自然動態だけでなく、社会動態も人口に対して影響を及ぼしています。
もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、
サル山の猿の数が均等に保たれている謎は、
サル山の猿の数が増えすぎたり、減りすぎたりしないように
人間がきちんとコントロールしているからです。
つまり「人工的に間引きされているから」といえます。
しかし、ここでもうひとつの疑問が残りますよね。
間引きされたサル山の猿たちは、一体、どこにいっているのか?
知られざる「動物実験」
サル山の猿の数が多くなりすぎてしまい、
間引きされた猿たちは、一体どこにいってしまうのか。
寿命などによる自然減の影響により、数が減少してしまっている他の動物園に、
引き取ってもらうこともあるでしょう。
しかし一方で「動物実験」として扱われているということも、きちんと知っておくべきだといえる。
「動物実験」と「流通の仕組み」
実は、世の中に流通するほとんどの商品は、「動物実験」を経られています。
例えば、風邪をひいたときに飲む風邪薬や、お腹を下したときに飲む下痢止め薬。
化粧品もシャンプーも、
歯磨き粉や飴やガムといったお菓子も。
いつも着ている衣服も、家の材料になる建材も、
生活になくてはならないあらゆるものに、「化学物質」は含まれている。
この「化学物質」を含んだあらゆる商品は、開発の段階で「動物実験」が繰り返されます。
そしてこの「動物実験」で、安全性が証明されないかぎり、認可は下りない仕組みになっているのです。
動物園の猿が、実験の対象になる理由
前述したように、間引きされたサルは、他の動物園に引き取ってもらうこともあります。
しかし、すべてを動物園間のみでコントロールすることも難しく、
「動物実験」に回されるサルも、少なくないといわれています。
実験を行う研究所なども、近年は動物愛護団体などから批判を受けたこともあり、研究所で繁殖させるケースが増えてきましたが、それだけでは数が足りていないのが現実であり、今でも間引きされた猿の多くは、動物実験を受けています。
この動物実験に使用されるのは、サルだけではありません。
何らかの事情で世話を放棄した飼主が、犬の処理を頼む「動物愛護センター」では、
新しい引き取り手が見つからない犬たちは、最終的には炭酸ガスなどで、なるべく苦痛を与えないように処理されます。
ところが、よくひとに慣れた犬は、大学の実験室や企業の研究室などに運ばれて、いろいろな実験を受けてしまうこともあるのです。
皮肉な話ですが、
ひとに慣れている動物の方が、実験が行いやすいということなのでしょう。
動物実験の内容とは
動物実験の内容は、
例えば、「何か」を埋め込まれたり、
「何か」を飲まされたり、
「何か」を目の中に入れられたりして、
どんな症状が現れるかを観察されたりします。
この場合の「何か」とは、僕たちがいずれ食べたり飲んだり、身につけたりするかもしれない「何か」。
危険性や副作用がないかどうかを、彼らを使って調べていきます。
実験の最中に命を落としてしまう動物もいますが、
仮に実験終了時に存命していたとしても
実験が終わったら、基本的にすぐに処理されるといわれています。
動物実験は、中止するべきなのか
この事実を知ってしまうと、感情的には「動物実験なんて、今すぐ中止するべきだ」と感じる部分も多いと思います。しかし、この実験を経ていなければ、予想もしなかった事故が起きる可能性は高まってしまうでしょう。
例えば、新製品の目薬を使ったら、目が見えなくなるかもしれない。
例えば、ボディソープを使ったら、全身の皮膚が真っ赤に炎症を起こすかもしれない。
それでも尚、「動物実験は中止するべきだ」と思えるだろうか?
僕たちは、たくさんの犠牲の上に、生きている
以前、いのちの食べかたという本をご紹介しました。
そして本記事も、同じ本を参考にしています。
いのちの食べかたでは、実際に牛や豚が僕たちの食卓に並ぶ「お肉」になるまでの過程を、細かく解説しました。この記事をみて、「かわいそうだから、もうお肉は食べたくない」と感じたひともいるかもしれないし、本記事を見て「動物実験なんてしない方がいい」と感じたひとも多いかもしれません。
でも、かれらのおかげで、僕たちはより良く生きてこられたし、人間は豊かになり続けています。
まとめ
「いのちの食べかた」の著者である森達也氏は、
犠牲のひとつふたつの事実を知ったからといって、今更それをやめることで、何かがかわることはない。と伝えています。
例えば水を確保するためにダムを作れば、そこに住んでいた魚や虫や小動物は、少なからず犠牲になるし、道をつくるために森林を整地すれば、同じくそこの生態系に大きな影響を与えてしまうでしょう。
それらすべてを防ごうとすると、人間の「豊かな暮らし」の土台そのものを根底から覆してしまいます。
僕たちは、豊かに生きていく中で、その土台となる犠牲に対して
麻痺していないと、生きていけないのかもしれません。
しかし著者は、麻痺しているからこそ、あえてそこを知っておくべきだとも、伝えられています。
個人的には、本を読み進める中で
精一杯生きることが、何よりの誠意になるのかな。と感じました。
知ったとしても、今から何かを根本的に変えたりすることは難しいかもしれませんが、
豊かな人生を精一杯享受し、生き抜いていくことこそが、せめてもの誠意のある姿勢だと考えています。
無駄にすることなく、命を燃やして、生き抜いていきましょう。