【自己啓発書の金字塔】書籍紹介【自分の小さな「箱」から脱出する方法】問題の根本は、”自分を裏切る”ことで発生する

こんにちは☺ちょっぷです☺

今回も元気よく本の紹介をしていこうと思います。

▽本日ご紹介する一冊はこちら。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

著:アービンジャー・インスティチュート氏

監修:金森重樹氏 訳:富永星氏

我々がこの世で受けるあらゆる苦しみは、それぞれが脈絡なく発生しているようでいて、実は複雑にからみあった糸のように相互に影響しあっていることが多い。

 

そして、その根本の原因を作り出している発生源が、他ならぬ自分自身のものの見方であることが存外に多いのかもしれません。

△上記は冒頭の一部抜粋ですが、本作では特に「自分自身のものの見方」に焦点を当て、深堀りしていく内容となっています。

ちなみに本作の内容は、”Google”や”Microsoft”、”IBM”や”NIKE”など、名だたる超一流企業の研修にも採用されているそうです。

本作のテーマ

今回ご紹介する本の題名は【自分の小さな「箱」から脱出する方法】です。

この中で、繰り返し使用される「箱」とは「自己欺瞞」の意味を持ち、この「自己欺瞞」こそが、本作の大きなテーマとなっています。

※自己欺瞞とは

自分で自分の心をあざむくこと。 自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化すること。

出典:国語辞書

本作の中では、「自己欺瞞」=「箱」

そして、自己欺瞞に陥っている状態を「箱」の中、自己欺瞞に気付いている、または抜け出している状態を「箱」の外と呼んでいます。

実は、ほぼすべてのひとが「箱の中」に入ってしまっている状態であり、またそのことを意識できていないと指摘されています。

本作では、エリートビジネスパーソンでもある主人公の”周囲との関わり方”や、”考えている価値観”、”抱えている問題”に焦点をあてながら、「箱(自己欺瞞)」に関してストーリー仕立てで理解を深めていく内容となっています。

本作の主な流れ

本作の主な流れは次の通り。

第1部 「箱」という名の自己欺瞞の世界

chapter1 「君」には問題がある

chapter2 自分だけが気付いていないこと

chapter3 何も見えない状態に陥るとき

chapter4 さまざまな問題の元になっている一つの問題

chapter5 効果的なリーダーシップを支えるもの

chapter6 自己欺瞞に冒されている人ほど問題が見えない

chapter7 目の前の相手は「人」か「物」か

chapter8 うまくいかないのは自分だけが悪いのか

第2部 人はどのようにして箱に入るか

chapter9 箱に入っているのはあなた一人じゃない

chapter10 箱の中に押し戻されてしまうとき

chapter11 あなたを箱の中に追い込む「自分への裏切り」

chapter12 本当に相手が悪いのか?自分を正当化できるのか?

chapter13 他の人たちが何を必要としているか

chapter14 なぜ自分ばかりが責められるのか

chapter15 自分の気持ちはどこに向いているのか

chapter16 箱の問題は、なぜ解決しなければならないか

第3部 箱からどのようにして出るか

chapter17 「素直な自分」を引き出す

chapter18 どうすれば箱の中から出られるか

chapter19 人として、相手と接する

chapter20 箱の中にいる時にしても無駄なこと

chapter21 自分が楽な人間関係を選択する

chapter22 何のために努力するのか

chapter23 本気になれなければ人はついてこない

chapter24 二度目のチャンスは用意されている

全体のページ数は約250ページほどですが、ストーリー仕立てで、尚且つ自分自身に刺さる部分が随所に存在し、腑に落ちる点も多く、「目から鱗」状態で没頭して読み進めることが出来た一冊でもありました。

個人的に、自己啓発系書籍の中では、間違いなく一押しの一冊です。

自分自身への裏切り

自己欺瞞とは、自分の心をあざむくこととお伝えしたのは先の通り。

したがって、自己欺瞞が生まれてしまうとき、すなわち、「箱」の中に入ってしまうときとは、「自分自身の裏切り」によって生じるものだと考えることができます。

例えば、生後僅かの赤ちゃんが、深夜に夜泣きしたとする。

夜泣きに気付いたその瞬間、「赤ちゃんを寝かしつけしよう」と思うはず。なぜなら、自分が寝かしつけを行えば、妻はその分寝ていられるだろうから。こういった気持ちは、もともと人間の中にあるもの。

自己欺瞞という「箱」の外側にいるときは、他のひとたちも”自分と同様”に、望みやニーズ、心配や恐れがあるという感覚を理解でき、共感できる。だからこそ、折にふれて、「他のひとに何かしてあげたい」と思えるんだろう。

寝ている妻を起こさないよう、赤ちゃんの寝かしつけを気付いた自分がやろうと思った。

しかし、自分が思ったように「自分自身が行動しない時」がある。

この場面でも、ベッドに入ったまま、赤ちゃんの泣き声を、ただただ聞いていた。

自分がすべきことに、自分で背いたということは、「自分自身を裏切った」ともとれる。

そして、裏切った瞬間から、ひとは自分自身を正当化するようになるという。

自分を裏切った瞬間、思考が変化する

妻を眠らせておくためにも、起きて寝かしつけなくては。

そう思ったけれど、そうはしていない。そして、妻もいまだ眠ったまま。

この状態をイメージして、泣き声を上げている赤ちゃんの声を聞きながら、自分は妻をどう見て、どう思い始めるのだろうか。

鈍感と思う?怠け者だと思う?

自分は気付いて起きているのに、よくそれだけすやすや眠れるものだと思うかもしれない。

いや、もしかしたら、狸寝入りをしているのかもしれないと思うかも。

このとき、答えは重要ではない。重要なのは、「妻に対して自分がどう思っているか」だ。

そして、今の自分から写し出されている妻の姿は、どんな母親に見えるだろうか。

きっと、良い印象は抱かない。

そして、妻のことをそのように思い始めると同時に、自分自身のことはどのように見はじめるのだろうか。

自分の正当化

妻のことを、怠け者で怠惰、狸寝入りをしている嘘つきで、”ひどい母親”だと思い始める一方で、自分のことはこんなふうに感じていくだろう。

・眠いのに、眠らせてくれない可哀そうな夫。

・明日の仕事に影響がでるかもしれない。大変だ。

・すぐに泣き声を察知した、子供の変化に敏感な良い父親。

このように、良き父親であり、また誠実で敏感だと感じるかもしれない。

そして、いずれもこのような考えは、「自分自身への裏切り」を正当化する理由になっていく。

明日も朝早いから、起きなくていい。

仕事に影響が出るかもしれないから、寝かしつけしなくてもいい。

しかし、妻はなぜいつまでも寝ているんだ?本当に寝ているのか?

まったく、ひどい母親だ。

明日も自分は仕事で、朝も早いのに、すぐに夜泣きに気付いて起きたというのに。

このように、ひとたび自分の考えを自分自身で裏切ってしまうと、裏切った自分を正当化してしまい、自己欺瞞という「箱」の中に入ってしまうのである。

相手のことを「ひどい人間」だと感じるとき

自己欺瞞という「箱」の中に入ったときに、相手のことを”ひどい人間”だと感じて苛立ってしまうことも多々発生してしまう。

しかし、そもそも赤ちゃんが夜泣きをし、自分がそれに気付き、妻が寝ているのを確認して「自分が寝かしつけをしよう」と思った瞬間に、妻のことを「ひどい人間」だと感じていたのだろうか?

それとも、「寝かしつけをしよう」という自分自身を裏切り、自分の感情に背いてしまったときなのか。

実は、その答えは後者であり、翌日の仕事に対する責任や影響を考え始めたのも、また後者。

妻に関しても、本当に「怠惰で嘘つきのひどい母親」なのだろうか?

自分の考えや行動を正当化する為に、自分自身が現実をゆがめて見てしまっている可能性が高いのではないだろうか?

結局、しない理由を相手の欠点に結び付けることで、相手の見方も自分の見方も歪めてしまった結果、真実とはまったく逆の見方をしてしまったとも考えられるのです。

「わたし」を怒らせる「あなた」が悪いのか?

自分を裏切った瞬間から、自分自身を正当化し始める。つまり「箱」の中に入ってしまい、歪んだ見方で現実を見るようになります。

見方の歪んでしまった「箱」の中では、相手に対してイライラしてしまうことも少なくない。

でも、本当に「わたし」を怒らせているのは、相手である「あなた」なのか。

先に説明したように、妻に非があるという気持ちは、「箱」の中に入ってしまってから生じた感情。

しかし、実際に手を貸そうと思っていた時は、妻に対する苛立ちはなかったはず。

つまるところ、苛立ちが起こる前と、苛立ちが起こった後に、唯一変化していたのは、「自分自身への裏切り」だけだったという事実なのだ。

「箱」の中では、頭と心が、そろって相手を責め始める

「箱」の中に入ると、「思考」と「感情」が一致して、相手を責め始める。

しかし、ここで注意をする必要がある。それは、思考や感情がそう思っていることは事実なんだけど、思考や感情が訴えかけてくることが、本当に真実なのか?ということだ。

相手が悪いのか。それとも、自分自身の裏切りか。

実際に苛立ちが起こる前と、起こった後で変化していたのは「自分自身への裏切り」だったとしても、それが本当の原因だなんて、にわかには信じられないはず。

自分の場合は絶対に違う!本当に相手に非がある!でっちあげたいわけではない!本当に問題があるんだ!

本作の主人公がそうであるように、上記のように感じてしまう方も多いかもしれません。

しかし、これまで伝えてきたように、相手を非難している時とは、自分の感情に逆らった時

また、自分の考えが絶対に正しいと、思考も感情も正当化しようとしてくるというのも、「箱」の中に入ってしまっている時なのである。

「箱」の外にでるには

様々なものの見方が歪められてしまう「箱」の中。

こわいのは、知らず知らず無意識に、ほぼすべての人間が、「箱」の中に入ってしまっているということ。

そして、仮に「箱」の中に入ってしまっていると自覚したとしても、「箱」の外にでるのは容易ではない。いや、「箱」の外に出るのは容易だが、出続けている状態を維持するのが非常に難しいといえるだろう。

なぜなら、自己欺瞞という「箱」は、これまでの経験で培い、形成してきた思考や感情であり、「箱」そのものが「性格の一部」となってしまっているから。

しかし、それでも「箱」の外に出るのは、難しいことではない。

なぜなら「箱」の中に入っていることを自覚し、心から「箱」の外に出たいと思ったとき、そのときすでに「箱」の外といえるからである。

混乱してしまうような話なので、この説明には、本作の一部を抜粋させて頂こう。

どうやって「箱」から出るんだろうと思ったときには、「箱」からでていた。

 

考えてもみたまえ。わたしが、自分の妻や息子や同僚たちに対して何ということをしてしまったんだろうと悔やんでいたとき、わたしにとって、みんなは何だったんだろう。その瞬間、わたしにとってみんなは、物だったんだろうか、人間だったんだろうか。

 

その瞬間は人間だったでしょうね。

 

そうなんだ。人間だった。私は相手を責めたり恨んだりすることをやめて、相手に関心を持とうとした。相手のあるがままの姿を見て、実際よりも劣った存在として扱ってきたことを、後悔していた。したがって、その瞬間のわたしはどこにいたことになる。

 

「箱」の外、ですね。

 

まさにその通り。「箱」の外に出たいと思ったそのとき、わたしはすでに「箱」から出ていた。相手のために何かをしたいと思うことが、すなわち「箱」の外にでることでもあるんだ。

「誰かのため」に行動するのは大変なことなのか

相手を自分自身と同じくらい大切な人間だと思い、接することで自然と「箱」の外にでられる。

しかし、ここで懸念点がひとつ上げられる。

他の人のためにしなくてはならないことが思い浮かぶたびに、自身を裏切ることなく、それを実行しなくては「箱」の外に出ていられないとすれば、それはとてもじゃないが「手に余ってしまう」と考えられるからだ。

けれどもこの懸念点は、よくよく考えてみればそれほど難しくはないこともわかってくるだろう。

こちらも本作を抜粋。

君が心配するような「しなければならない義務」の大群が生まれてしまうものなのかどうか、自動車を運転している場合で考えてみよう。まず、はるか先を行く車に乗っている人や、はるか後ろを走っている車に乗っている人については、どうだろう。こういった人々に対する行動は、「箱」の外にいるからといって、大きく変わるだろうか?

 

いいえ。それほど大きくは変わらないでしょう。

 

近くのドライバーはどうだろう?

 

変わるでしょうね。

 

なるほど。では、どんなふうに変わるかな?

 

おそらく、安全運転を心がけるでしょうね。それに・・・

 

(わたしは、割り込んできた車を睨みつけたら、相手が隣人であることに気付いたときを思い出しながら続けた)

 

もっとにこやかになるかもしれません。

 

では、そういうふうに行動を変えるなんて、とても手に負えない、負担だと感じるかね。

 

いいえ。

 

つまりこの場合、「箱」の外に出て他の人々を人間として見たところで、突然ずっしりと重たい義務感に攻め立てられるわけではない。というのも、多くの場合、「箱」の外にでることによって、他の人々との関係が根本的に変わり、それだけで、他の人々をあるがままの人間として見るという、人間としての基本的な義務を果たしたことになるからなんだ。わかるかな。

 

ええ。わかるような気がします。

「箱」の中と外では、どちらの方が「大変」なのか

これまで解説してきたように、「箱」の外に留まり続けるうえで肝心なのは、自分が他の人に対してなすべきだと感じる、その感覚を尊重することです。

しかし、必ずしも感じたことすべてを実行すべきだ。とは、語られてはいません。

なぜなら、人それぞれに大事にしなくてはならない責任や役割が存在し、思うように手が貸せない場合もあるからである。

それでも、「できるかぎりのことは尽くす」という姿勢が大切となる。しかしそれは、義務感にも、重圧にも感じないはずだろう。なぜなら、「箱」の外にいる状態とは、他の人のことを、自分と同じくらい大切な人間として見られている状態だからである。

一方で、「箱」の中はどうだろうか。

実は、「箱」の中に居続けるということは、裏切ってしまった自分自身を正当化し続けるということでもある。

自分は思慮深い人間だから。価値ある人間だから。高貴な人間だから。などなど、自分が正しいということを、自分にも相手にも、常に見せつけなければならないといえるだろう。そういった意味では、「箱」の中こそ、大変で、手に余るとも考えられる。

まとめ

「箱」という名の「自己欺瞞」の世界には、知らず知らずに誰しもが足を踏み入れ、そして頑なに「中」に閉じこもってしまっているという。

中に入ってしまうと、思考も感情も自分の選択や行動を正当化するよう仕向けてくるので、間違っていると感じることもなければ、それに疑いを持つこともない。

しかし、常に「正当化する理由」を探し続けなければいけない為、本当はすごく不安定でもある。

今回この記事を通してご紹介した、自己欺瞞という「箱」にまつわるテーマは、本作に記されている内容の極々一部です。

本作を初めて読んだのは、2年前。管理人の僕が店舗運営を行っていた頃。

当時の状況と本作の内容がリンクして、体中刺さりすぎて震えながら読み進めたことをよく覚えています。

今でも大切に保管している本で、

精神的に参ってしまったときや、他責傾向にあるとき、立ち止まってしまったときなどに読むようにしています。

「自己欺瞞」や「人間関係」という複雑なテーマなので、禅問答のような問いかけも多少でてきますが、それでも読者を置いていかず、優しく、丁寧に、深く、細部である根っこの部分まで掘り下げていく内容となっています。

本当に素敵な一冊で、思い入れの強い一冊でもありますので、人間関係に少し疲れ気味になっていたり、もっとうまくいく方法を模索している方には、ぜひ読んでみてほしいと思います。

長くなりましたが、今回はこれでおしまい☺本日も良い日になりますように☺

 

 

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