ディズニーの名作【アラジン】から見る【共感性の罠】

人と人とがコミュニケーションを取るうえで

『共感性』は非常に強い武器になります。

みなさんもご経験があると思いますが、

初対面の人とお会いして、なんとか会話を盛り上げたい、仲良くなりたいと思った時、

会話しながらお互いの共通点を探り、共感できる部分を見つけようとしますよね。

このように共感を軸にしたコミュニケーションは非常に効果的ですが、

一方でリスクも存在しています。

今回は、北野唯我氏の著書【天才を殺す凡人】から

【共感力の罠】について、ご紹介していきます。

共感を軸にした判断は『愚民政治』を招く

ディズニー映画『アラジン』は、むしろ知らない方の方が少ないであろう、いわずとしれた超名作です。

2019年には待望の実写化も行われ、再びアラジン旋風を巻き起こしていたのは記憶に新しいところでしょう。

そしてこの名作『アラジン』の脚本には、

例え間違った方向でも、一度共感してしまうと止まらなくなる、という

『共感性の罠』がふんだんに取り入れられています。

映画『アラジン』が教えてくれる『共感性の罠』

『アラジン』の冒頭、始まりのシーンは以下のようなものです。

本作の主人公、アラジンは貧しさゆえにパンを盗む。もちろん盗まれた店主は怒り、警察も出動する事態となる。

アラジンは追っ手を振り払い、なんとか逃げ切ることに成功します。

ようやく一息つき、パンを食べようとする。しかし、そんなアラジンの前に現れたのは、お腹を空かせた子供たち。

結局、アラジンは盗んだパンを子供たちに与えてしまいます。

ここまで。

さて、いかがでしょう。

ここまで見て、みなさんはアラジンに対してどのような感情を抱きましたか?

僕も含め、おそらく多くの方々が、アラジンの事を『心の優しい主人公』と感じていると思います。

しかし、この『反応』こそ『共感性の罠』の思う壺。

完全に『脚本に騙されてしまっている』といえるでしょう。

人が人を判断するとき

脚本の世界の格言には、

『悪いやつを主人公にしたときには必ず、もっと悪いやつを敵にする』

という格言があるといいます。

これは『盗人にも三分の理(言い分)』があるように見せるためですね。

確かに、お腹を空かせた子供たちにパンを与えてしまうところを切り取って見てみると

心優しい主人公だと感じます。

しかし、もし仮に被害にあっているパン屋さんが、普段よく行く地元のパン屋さんで、店主とも顔馴染みだったらどうでしょう。

自分の知り合いのお店が盗難の被害にあったら、盗人であるアラジンのことをどう思うでしょうか?

さらにいえば、パン屋さんの店主の場合。

ストーリー上、パン屋さんの店主は、

パンを盗まれ→怒る

これだけしか表現されていませんが、

店主にも養う妻がいて、子供がいて、その生活を守るために、朝から一生懸命生地をこねてパンを焼いているとしたら?

そのような描写がされていたら、むしろパン屋さんの店主に共感性が働くのではないでしょうか。

つまり、

映画『アラジン』は、

人が人を判断する際、『見える範囲』だけでその人を評価している。

ということを、教えてくれているんですね。

共感性は、切り取り方次第

人と人とがコミュニケーションを取るうえで、共感性は確かにとても大切です。

しかし、ときに危うさも隠れていることを知らなければなりません。

物語のどこを切り取るかで共感性の方向が変化する。

ということは、一見根深そうにも見えますが、実は『すぐにひっくり返るもの』でもあるということ。

それも共感性の危うさのひとつといえるでしょう。

まとめ

映画『アラジン』は、

自分の見える範囲で判断してしまうという、共感性の危うさ、そのリスクを巧妙について

視聴者をアラジンに共感するよう促していることが理解できます。

これはつまり、間違った物事や意思決定でも

伝え方や切り取り方、編集次第で

ひとはその方向に突き進んでしまうことを意味しているでしょう。

それらの危うさやリスクを、『アラジン』から学べるといえます。

そういう意味でも、やはり最高の名作ですね。

ちなみに、今回参考にした書籍

【天才を殺す凡人】

最強におもしろかったです。

この著者の書かれている書籍はどれもおもしろく勉強になるので

気になる方は手に取って読んでみてくださいね(^^♪

それでは今日はここまで。おしまい。

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