僕はこちらのブログで、度々目標設定の大切さを書いていたりします。
◇例えばこちら↓↓
家庭の中でも、友人との語らいの場でも、仕事先の上司や同僚とも、
「この先、何をしたいのか?」という会話はよく出てくる話題のひとつだと思います。
「○○をしたい」という感情は、ひとにやる気とエネルギーを与えてくれる、とても強力な原動力であると思っています。
しかし、「将来、○○をしたい」という「目標」には、ひとつだけ「抜け落ちているモノ」があります。
そこに気付くことが遅くなってしまうと、「豊かさ」を感じることが難しくなってしまいます。
今回は、「将来、やりたいことを決めるときに必要な、たったひとつの考え方」です。
目次
目標に抜け落ちがちな視点とは
将来、○○という状態を作りたい。この先、○○という事柄を成し遂げたい。
やりたいことは、ひとの数だけあると思います。
僕も、自分がやりたいことをやり続けてきました。
しかし、僕のやりたいことには、ひとつだけ抜け落ちていました。
それは「何々をやりたい」という気持ちばかりで、その「やりたいこと」を「誰とやりたいのか」という視点でした。
「何をやりたい」は力を、「誰とやりたい」は豊かさを
僕も「○○をやりたい」という気持ちは人一倍強く、独立まで我武者羅に走ってきたと思いますし、独立後もひとり突っ走っていたと思います。
そして僕自身、自分のお店の業績が徐々に上がってきていても、
なんだか豊かになってはいないな
と感じる時期がありました。
僕が独立前に求めていた「やりたかったこと」は現実として叶っているはずなのに、その目標を成し遂げても、豊かさはあまり感じていないことに気が付いたんです。
僕は独立をすることで、自分が求めていたコトを獲得することができました。
しかしこれは、「自分がやりたいこと」を叶えただけで
「その目標を誰と共有するのか、その状態になると誰が豊かになるのか」という「誰」の部分が欠けていたことに気付きました。
例えば「誰」の矢印を家族にするのであれば、「自分がやりたいこと」を達成すれば「家族も同じだけ豊かに感じられるもの」でなければなりません。
しかし当時、僕の家庭は崩壊寸前で、妻からは愛想をつかされ、終いには離婚届も突き付けられました。
あの時周囲の協力のおかげもあり、なんとか離婚には至りませんでしたが、
思い知ったのは「自分のやりたいこと」は「自分が一緒に豊かになりたいと思っているひとの豊かさ」には繋がっていないという事実でした。
同じような例で、【大金持ちになり豪邸に住む】という目標があったとします。しかしこの目標に【誰と】という部分が抜け落ちたまま走り続けてしまうと、実際に目標が達成できたとしても、ひとりぼっちかもしれません。
誰もが羨む豪邸に住み、お金のことを心配する必要が一切なくなっても、一緒に住むひとがいない、訪ねてくれるひともいない状態で、たったひとりで住み続ける、果たしてそれは豊かだといえるでしょうか。
極端な例かもしれませんが、目標と目的が逆転してしまい、実際にお金を稼ぐ事それ自体が目的になって、「稼いでも稼いでも一向に豊かさを感じられない」ひとはたくさん実在します。
目標に「誰と」が加わると、目標そのものも変わる
目標を達成していくと、変化するものでわかりやすいモノが「お金」です。
だから、お金は目標として掲げやすいんだと思います。
豊かさの土台として、お金は確かに大切です。
しかし、お金は豊かさを享受するための便利な道具に過ぎません。
「○○をやりたい」の目標に「誰と」の目線が加わると、
この目標で、○○さんと本当に豊かになれるのか
という客観的な視点が生まれやすくなります。
したがって、目標がより現実的に、具体的になってきますし、判断軸が固定され、ブレもなくなります。
結局ひとは、自分のためだけだと、それほど頑張れません。
みなさんも、一時期の僕のようにはならないよう、目標に「誰と」の目線も加えてみてください。
きっと、感じる豊かさに変化がでてくると思います(*^^*)おしまい