【手段の目的化が学校をダメにする】書評・解説【学校の「当たり前」をやめた】

こんにちは☺ちょっぷです☺

本日も元気よく本のご紹介をしていきます☺

今回ご紹介する一冊はこちら▽

【学校の「当たり前」をやめた】

著:工藤勇一氏(千代田区麹町中学校校長)

 

本作の内容とおすすめポイント

本作では、公立の校長先生でもある著者が、旧態依然とした教育現場に疑問を抱き、長年に渡って改革してきた実例を紹介しながら、改革までの経緯や、改革後の変化など、リアルな現場の声を綴った著者初の書籍となっています。

✔当たり前を疑うことの大切さ

 

✔最上位目標の考え方

 

✔仕組みやルールの背景

本作を通して、特に深堀して語られている内容が上記ポイントです。

これらは根本的な考え方の土台部分でもあるので、まだ読まれたことがない方は、是非手に取って読んでみることをおすすめします☺

一部ではありますが、本作でご紹介されている具体的な事例は次の通り。

✔宿題の全廃

 

✔中間・期末テストの全廃

 

✔固定担任制の廃止

 

✔運動会の「クラス対抗」の廃止

 

✔服装・頭髪の指導を行わない

いずれも、”本来の教育のあり方”や、”学校に求められていること”、子供にとって”本当に大切なこと”それらの本質を、徹底的に考えられた末の決断だということが理解でき、

既存のルールだからといって、鵜呑みにするのではなく、それらのルールは本当に”正しい形”となっているのか、”手段の目的化”となっていないか。

など、分野は違っても、様々な仕事に共通する「考え方の土台」の部分に訴えかけてくる内容となっています。

本作の構成と流れ

本書の構成は、第一章で、読んでいて痛快な事例の紹介が続き、第二章でその土台となる考え方を、

第三章、第四章で現在進められている様々な取り組みをご紹介された後、第五章で著者の思い描く学校の未来について解説されています。

具体的な流れは次の通り。

第一章 目的と手段の観点からスクラップ(見直し)する

①宿題

②定期考査

③固定担任制の廃止

④運動会の「クラス対抗」

⑤目標はスローガンではいけない

⑥生徒指導

⑦書く指導

⑧NOT心の教育

 

第二章 「手段の明確化」

①学校は何のためにあるのか

②学習指導要領は何のためにあるのか

③いじめ調査は何のためにするのか

④トラブルを学びに変える

⑤リーダー指導は教員の仕事

⑥ルールを見直す

⑦「問題」は作られる

 

第三章 新しい学校教育の創造

①未来を生きる子供たちに必要な力

②社会とシームレスな問題解決型カリキュラムづくり

③ノートの取り方

④生徒たちが「手帳」でスケジュール管理

⑤明確な目標を持った宿泊研修

⑥旅行会社とのタイアップによる企画型の取材旅行

⑦答えのない課題に取り組む

 

第四章 「当たり前」を徹底的に見直す学校づくり

①現状の課題を教員と共にリスト化し解決

②「対立」とどう向き合うか

③学校を「コミュニティ・スクール」に

④PTAが中心となって制服を決める

⑤責任と権限がやりがいを生む

⑥職員室の当たり前を見直す

⑦業務の効率化

 

第五章 私自身が思い描く、学校教育の新しいカタチ

①「早く大人になりたい」子供を育てたい

②選択を狭くするほど、その先の選択肢は広がる

③学校の当たり前を疑う

④真の民主主義社会を創るために

⑤新しい時代の学校教育のカタチ

個人的には第一章と第二章、そして第五章の内容が印象的で、読み進めていておもしろかったです。

旧態依然のルールにメスを入れ、改革を行っていく姿は、読んでいて痛快でもあり、またそれらの”背景”や”想い”にも納得できる点も多く、自分自身に照らし合わせて考えさせられる内容でもありました。

学校は何のために存在するのか?

「学校は何のためにあるのか?」

その答えとは、子どもたちが「社会の中でより良く生きていけるようにする」ためにあると著者は伝えています。

そのためには、子どもたちが「自ら考え、判断し、決定し、実行する資質」すなわち「自律」する力を身につけさせていく必要があり、

現状を鑑みると「自律を育む」といった意味では、多くの学校がその真逆のことを行ってしまっていると、著者は語ります。

手取り足取り丁寧に教え、壁に当たればすぐに手を差しのべる。けんかや対立が起きれば、担任が仲裁に入り、仲直りまで仲介する。そうして手厚く育てられた子どもたちは、自ら考え、判断、決定、行動できず、「自律」できないまま大人になっていきます。

 

そして、大人になってからも、何か壁にぶつかると「会社が悪い」「国が悪い」と誰かのせいにしてしまうのです。

 

学校は、人が「社会の中でよりよく生きていけるようにする」という本来の目的を見失い、そこで行われている教育活動と実社会との間に乖離が起きているのです。

 

その原因を一言で表せば「手段が目的化」してしまっているからだと私は思います。

 

例えば、国が示す学習指導要領は大綱的基準にすぎないのですが、多くの教員はこれを「絶対的基準」と考えがちです。その実、学習指導要領を読み込んでいるわけでもなく、教科書に従って授業をしている教員が大半のように感じます。

つまり、子どもたちに必要な力をつけるための「手段」であるはずの学習指導要領や教科書が目的となり、消化してこなす対象となってしまっているのです。

著者である工藤校長は、「学校は来ることが目的ではない」と語っており、学校に行くか、自分のやりたい道に専念すべきか、迷っている生徒には、校長自ら「来なくても構わない」と伝えたこともあるといいます。

校長先生から「学校に来なくても構わない」と言われてしまうと、多少の驚きはあるでしょうが、その言葉を伝えられた生徒さんの肩の荷は、ずいぶん下りるのではないでしょうか。

結果的にその子は、高校生の年齢でプロ入りを果たし、著者の元に報告に訪れたそうです。その時の表情は実に晴れやかで、自律した大人の姿であったと語られています。

仕組みやルールを疑う

公立学校という組織は、10年もすればほぼすべての教職員が異動で入れ替わります。

その為、古くから守られている仕組みやルールに関して、理由や背景をきちんと理解できないまま、”とりあえず決まり事だから”と守られているものが至る所にあるといいます。

既存の仕組みやルールに対して、疑問を持つことなく守って行動していくと、その行動がパターン化され、慣れが生まれ、余計なエネルギーも割かなくてよくなります。

仮に多少の疑問を抱いていたとしても、仕組みやルールを変えることは、大きなエネルギーを伴います。

既存のルールに慣れてしまった方々を説得する必要も生じるし、より良くなるためのルールを自分自身で導き出さなければなりません。

結局、変えることの方が多くのエネルギーを必要とし、”大変”である為、多くのひとは、既存のルールの中で行動することが、最善で合理的だと考えてしまうのかもしれませんね。

「教育分野は100年変わっていない」といわれたりしますが、教育の世界だけでなく、あらゆる業界でも見受けられることだと思います。

ルールを守ることが目的なのではなく、ルールを守っていくことで、成し遂げられる目的がなければいけません。

目的の為のロードマップが目標であり、そのベースとなるモノが仕組みやルールとなり得るので、常に「手段の目的化を起こしていないか?」といった意識を持ちながら、日々の業務に取り組む姿勢が大切となるのでしょう。

学校が変わるためには

最後に、学校が変わるために、今、何が必要なのか。

そのことについて語られている内容を抜粋し、この記事の結びとさせて頂きます。

学校が変わるために、今、何が必要なのでしょうか。

 

それは、教育の本質を取り戻すことです。何のために学校があるのか、作られた制度の中で考えるのではなく、生徒、保護者、教員が最上位の目的を忘れず、ぶれずに、ゼロベースで積み上げていくことです。

 

それは、計り知れないことではなく、身近な課題を解決するに当たって、対話を重視し、合意形成する経験によって達成し、その後の人生で、何度も繰り返し経験することです。

 

小さな改善が積み重なり、大きな変化となります。

草の根活動が自律的に始まり、いつか大きなうねりとなって、教育の本質的な改革が進むことを期待しています。そして、オセロの駒が、一気にひっくり返される日が必ず来ると信じています。

 

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