いのちの食べかた

注:本記事は過激な内容が含まれています。苦手な方は閲覧を控えてください。

いのちの食物連鎖

いきものはみんな、何かを食べて生きています。

プランクトンは小さな魚に、

小さな魚は大きな魚に、

死んでしまった大きな魚は、プランクトンに。

草や微生物を食べる、小さな虫は、少しだけ大きな虫に

少しだけ大きな虫は、鳥や小さな動物に

鳥や小さな動物は、もっと大きな鳥や動物に

そして大きな鳥や動物の死骸は、小さな虫に食べられて、

微生物に分解されて、草木の栄養になる。

世界はぐるぐる回っている。これを食物連鎖という。

でも、この食物連鎖には、ひとつだけ抜け落ちているものがある。

そう。僕たち人間だ

死んだ後も焼いて骨だけになってしまうから、微生物やプランクトンにも食べられない。

でも、僕たちにんげんは、毎日かれらを食べている。

僕たちは、かれらを知っている。生きてるかれらを知っている。

でも、ほとんどのひとは知らないはず。

かれらが、どんな工程を経て、「お肉」になっているのか。

僕たちは、知っておくべきだ。それがせめてもの、礼儀だと思う。

参考著書:いのちの食べかた 著者 森達也さん

日本人が食べる、牛、豚、鶏の総量

牛:頭数 1.039.000頭

豚:頭数 16.320.000頭

鶏:頭数 712.493.000頭

参考:令和元年度「畜産物流通調査」より

こうやって見てみると、想像もできないくらい膨大な数を、僕たちは「お肉」として頂いています。

今日も、明日も、明後日も。かれらは毎日処理され、お肉になる。

ぼくたちは毎日のようにお肉を食べているけど、「お肉になる工程」はほとんど知らないはず。

なぜならこの部分はすっぽり報道されない部分だから。だから詳しく知らなくて仕方ない。

でも、「かれら」を日々「お肉」として食べている僕たちは、知る必要があると思うんです。

と場

と場の「と」とは屠殺(とさつ)の「と」といわれています。

昔は屠殺場といわれていましたが、

いろんな経緯や事情があり、今では一般的にと場といわれます。

と場のいきさつは、とても複雑で長くなるので、今回の記事では割愛します。

気になる方は本を読んでみてください(*^^*)

いずれにしても、

この「と場」で、牛や豚や鶏は、僕たちが毎日食べている「お肉」になります。

最も規模が大きいのが、東京都直営の芝浦と場。

東京都の人口は現在約930万人という、膨大な人数ですが、

そのほとんどのひとが食べるお肉は、

この芝浦と場から出荷されています。

芝浦と場では、基本的に牛と豚を扱っています。

牛は「大動物」、豚は「小動物」と呼ばれており、

芝浦と場に到着するまでには長旅になるので、

運ばれた後は係留所という場所で、一晩休養をとるパターンが多いらしいです。

運ばれてきた、牛や豚は、明日「処理」され「お肉」になります。

屠畜の二つの軸

昔の屠畜は、斧や鉞(まさかり)で頭を叩いて処理していた時期もあるそうですが、

現代では大きな二つの軸の元に処理をしています。

1.なるべく苦痛を与えない

2.放血(血抜き)は、生きているうちに行う

1.の理由は(自分がと場で処理する側に立ったら)を想像すればわかりやすいですが、毎日毎日たくさんの牛や豚を処理しなければならない。その時に、少しでも苦しめようなんて思うひとはまずいないはずです。もちろん情緒的な理由だけでなく、苦しめてしまい、暴れさせてしまうと、作業に支障がでてしまうため、効率的にも、苦痛を与えないことは大切なのです。

 

2.生きているうちに行う放血は、少しでも美味しいお肉になるようにする為です。血を残して死んでしまった動物の肉は、固まった血の味が肉に混じり、食べても美味しくなくなってしまいます。食べられないことはないが、味が落ちてしまうので、できる限り生きているうちに放血を行うのが大切です。

と場では、この二つの課題を、どのように解決しているのか、みていきましょう。

屠畜の工程

と場とは、いわば食肉工場で、係留所で休養をとった牛や豚は、ホースの水で洗われてから、それぞれの工程を通っていきます。

牛の工程の場合だと、体を洗われた牛は、

一頭がなんとか通れるだけの幅の通路に追い込まれていきます。

そして先頭の牛から順番にノッキングを受けます。

初めてこの光景をみたひとは、押し当てられたピストルでこめかみを撃ち抜かれていると思いますが、銃口から発射されるのは弾ではなく、ノッキングペンと呼ばれる細い針。

長さ3センチ程の細い針ですが、撃たれた瞬間に牛は脳震盪を起こし硬直します。

次の瞬間、通路の側面の鉄板が開かれ、段差1.5mほど下の床まで、

四肢を強張らせたまま傾斜を滑り落ち、

牛が滑り落ちると同時に待ち構えていた数人が牛を取り囲みます。

頭側にまわった一人が、眉間に開けられた穴から、長さ1メートル程の金属製のワイヤーを素早く差し込み入れていきます。差し込まれたワイヤーは脊髄を破壊し、全身が一瞬で麻痺状態となります。

この時、もうひとりがほぼ同じタイミングで、首をざっくりナイフで切ります。

すると切断された頸動脈から大量の血がほとばしります。

そして、吊り下げ式のベルトコンベアから下がる鎖に片足をひっかけ、牛を逆さまにして吊り上げます。

この時、牛はまだ死んではいません。

全身は麻痺していますが、心臓は動いています。心臓が動いているから、血は勢いよく床に放血されます。

ノッキングからここまで、実に数十秒の出来事です。

放血終了した牛がベルトコンベアで運ばれると同時に、また次の牛が運ばれ、同じ作業を繰り返します。

この時、もしだれか一人でも手順を誤ると、作業は一気に狂います。

だから職人は全員、真剣そのものです。

枝肉になるまで

頸動脈を切られ、吊るされた牛は、

次に頭を落とされ、次に前脚が切断され、次に後ろ足が切断されます。

胴体だけになった牛は、次に皮むき機で皮を剥がされていきます。

皮もなくなり、うすい脂肪に包まれ大きな肉塊となった牛のお腹に、

今度は職人がざっくりとナイフを入れ、内臓を全てだしていきます。

この内臓がこぼれおちるとき、まだ温かい内臓は、もうもうと白い湯気をだすといいます。

こうして頭と脚、皮と内臓も別にされた胴体は、

専用の電動のこぎりで背骨に沿って縦に二つにされます。

それぞれ分けられた枝肉は、検査や処理を施された後、大切に保管され、

最終的にセリにかけられ食肉卸業者が引き取っていきます。

これらすべての工程に、それぞれ専門の職人が存在します。

ちなみに豚の場合は、

ノッキングは用いずに、炭酸ガスを吸わせることにより、仮死状態にするのですが、

その後の工程はほとんど牛と同じです。

僕たちにできること

いかがでしたか?

これが、「牛」や「豚」が、「お肉」になるまでの工程です。

この工程を知って、「かわいそう」と思うのか、

これだけしっかり処理されて、「牛や豚も幸せだ」と思うのか。

はたまたお肉を食べるのは控えようと思うのか。

受け取り方はひとそれぞれですが、大切なことは、「知ること」だと思います。

何を感じたとしても、現状では、と場に運ばれてくる牛や豚や鶏も、

ひとがお肉を食べる行為も、変えることはできません。

また、と場の仕事は昔、日陰の仕事といわれていた背景もあり、メディアにはでてきません。

でも、だからこそ、主体的に、知る必要があると思います。

知って何ができるのか。それは僕にもわかりませんが、

少なくとも知らないで食べるよりは絶対にいいはずです。

僕たちの食卓に運ばれてくるお肉に、いのちがあったことを。

僕たちはいのちを犠牲にしないと、生きていけないことを。

知ったうえで、生きていく。いのちを食べて、生きていく。

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