寂しい時や傷つけられた時、疎外感を味わった時、ひとは自分の心を身体の変調になぞらえる。
・胸が張り裂けそう
・呼吸が苦しい
・心の傷
・心が病む
こういった表現は万国共通である。単に言葉のあやなのか、それとも実際に身体に害が及ぶのだろうか。本記事では「心の傷」や「孤独感」に関しての、興味深い研究結果をご紹介しよう。
目次
「孤独感」が身体に与える影響とは
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の神経学者、ナオミ・アイゼンベルガー教授は
孤独感は私たちが考える以上に身体に影響を与えているのではないか、という点に興味を持ち、
社会的な拒絶間を味わったときに活性化する脳の部位を観察する実験を行った。
具体的には、コンピューターゲームをやりながら、被験者を仲間外れにするという試みである。
パソコンの画面上には、プレーヤー2人を表す棒線がふたつ画面の両端に表示され、真ん中には手の絵があり、これは被験者自身の手を意味する。
被験者はこのプレーヤー2人と、合計3人でキャッチボールを行い、他のプレーヤーがボールを投げてきたらキャッチし、どちらか一方のプレーヤーを選択し、ボールを投げ返すというシンプルなものである。
このゲームは「サイバーボール」と呼ばれており、社会的な排斥を研究するために開発されたものである。
「心の傷」はどんな形で現れるか
脳の変化を検証するため、fMRI(脳の活動記録を調べるもの)の中でゲームを行う。
被験者には他のプレーヤーは別室にいると伝えているが、実際プレーヤーは存在していない。プレーヤーが操作するはずの二本の棒線は、コンピューターのシミュレーションプログラムで操作されている。
まずは10分間、ボールは平等に投げられる。しかしその後、2人のプレーヤーは被験者にパスを一切投げてこなくなる。何の説明もないまま、仲間はずれにしようと決めつけたかのように、まったくボールを投げてこないのである。
みなさんも、自分を含めて3人でキャッチボールをしているのに、何度もボールが行き来しているのに、自分だけにはボールが回ってこなくなると、どんな気分になるか考えてみてほしい。
この状態で、さらに10分間ゲームを続けたところ、興味深い変化が訪れた。
fMRIのデータによると、ボールが投げられなくなった後半に活発になった脳の部位は、「身体的な痛みを感じた時」に活発化する部位(特に帯状皮質前背側部と前頭皮質)と同じであった。
もちろん被験者は身体に痛みを感じているわけではない。身体の痛みを感じた時に活性化する部位はいくつか存在するが、帯状皮質前背側部と前頭皮質は、危機が生じた時に大きく鳴り響くアラーム装置の役割を果たす部位である。
仲間外れにされた事実を「非常に不快」と解釈し、「何があってもこの痛みから逃げろ」と警報を発しているのである。
この研究結果から、少なくとも脳の2つの部位は、仲間外れを身体的苦痛と同等に感じていたといえる。
アイゼンベルガー教授は、この現象を「社会的痛み」と呼んでいる。
頭痛薬で社会的な痛みが軽減される
その後の研究で、このふたつの部位は、社会的な排斥に関する様々な場面で活性化することが明らかとなっている。
・仲間外れの予兆を感じた時
・恋人と別れるかもしれないと不安になった時
・誰かが、からかわれているのを目撃した時
・失った友人や恋人を思い出した時
これら以外にも、他人に誤解されてしまうかもといった想像をするだけでも、同じように確認されている。
「身体的な痛みへの忍耐力が低いひとは、仲間外れや村八分に対しても耐性が低く、その逆もまた然り」と、違うアプローチの研究でも社会的な痛みと身体的な痛みは同等であるという可能性が確認されている。
また、アイゼンベルガー教授による研究では、頭痛薬で社会的な痛みが楽になることも明らかとなっている。
これは脳が、頭痛も、心の痛みも、まったく同じ方法で和らげようとするということである。
「孤独感」と死のリスク
ブリガムヤング大学の心理学者、ジュリアン・ホルト=ランスタッド教授は「孤立で死のリスクが高まるか」をテーマに60歳~80歳までの世界中の被験者30万8千人のデータを集約し、
交友範囲の規模、同居する人数や友人の数、社会的活動の程度を調査し、さらに被験者を、月単位、年単位、十年単位で追跡し、死亡率を調査した。
その結果、孤立感や疎外感など、寂しさを抱えているひとの死亡率が高いことが明らかとなった。
注目すべきはその影響の大きさである。友人の多い被験者は研究終了の時点で、性別や研究開始時の病気の有無、住んでいる国に関係なく生存率が50%も高かった。
集団から離れて生活することで、死亡率が大きく上昇することがわかったのである。
また、同居人や配偶者の有無は、平均余命の長さに対して、著しい影響は見られなかった点も興味深い部分だろう。
ランスタッドの研究では、好感で繋がる人間関係を築いていた被験者ほど、寿命に良い影響を受けていた。生存率は、孤独に生きたひとより91%も高かった。研究終了の時点で、社会的に良好な関係を築けているひとの生存率も、そうでないひとのおよそ2倍であった。
この結果から、孤独はほかの健康リスクと比べても、
例えば肥満や運動不足、大量の飲酒よりも、命を落とすリスクが高いことが明らかとなった。
唯一、孤独と匹敵するほど身体的に悪影響なのは、喫煙のみであった。
ひととの繋がりは、プログラミングされている
現代はネットのおかげで、かつてないほど「繋がった」感覚をもてる一方で、かつてないほど「分断」されて生きるようにもなっている。
ひとり暮らしや晩婚が増加し、家族も遠く離れた場所に別々に暮らすことも珍しくない。
親友がいないと感じるひとは、20年間で3倍に増加している。
遥か昔の原始時代、守ってくれる仲間がいなければ、ケガをしたり、動物に襲われたりして早死にする可能性が高かった。協力することで早死にリスクを回避し、また仲間と分け合うことで、捉えた獲物を新鮮なうちに食べることもできた。
コミュニケーションをとり、協力することは、生き延びるうえで必要なことだったのである。
したがって我々人間という種は、生きていくうえで、「ひととの繋がり」をとても大切にし、また敏感になるようすりこまれ続け、プログラミングされているといえる。
だからこそ、幸福感は、他人に協力したり、助けたりすることでも感じられるようになっているのかもしれない。
ひとはひとりでは生きていけないことはないかもしれないが、そもそもその生き方は人間には相性が悪いといえる。
つくづく思うのは、大切なひとを大切にし続けて生きていきたいということですね。おしまい。